
ここのところずっとお知らせばかりになっていましたが、久しぶりに体のことについてブログを書いてみようと思います。
昔、言語習得についてこんな例えを聞いたことがあります。
「言語習得は、コップに一滴一滴と少しずつ水が溜まっていくようなもので、その間はあまり上達がわかりにくいが、ある時そのコップの水がいっぱいになって溢れたとき、急にわかるようになる。」
段階的に、右肩上がりに上達していくのではなく、上がっていることがほとんどわからないくらいの状態が続いた後に、一気に花開く…ということを、「コップの水」に例えた話です。
私自身は、言語習得が大の苦手でしたが、確かにある時わかるレベルが急にぐぐっと上がったのを感じたことはありました。(もう遠い過去の記憶と化していますが…笑)
このコップの水の例え、実は病気についても当てはまるのではないかと思います。
良い意味でも、悪い意味でも…
どういうことかと言いますと、人は大体病気になったとき、それが突然起こったかのように感じることが多いからです。
「昨日までなんともなかったのに…」と、運悪く、急に不幸が舞い降りてきたかのごとく、驚きます。
しかし、先天的疾患や外傷などは別として、病気の多くは、発症前から、コップに一滴一滴と少しずつ水が溜まるように、体の中で徐々に病の要素が蓄積していると考えられます。
蓄積に伴って、痛みなどが段階的に強くなっていくのであれば、わかりやすいのです。
けれど大抵の場合、溜まっていく間の不調はそれ程はっきりとは現れず、なかなか気がつきません。
そしてある時、コップの水が満杯になった途端、一気に病気が表面化するために、皆驚くのです。
心の病気においても、同じようなことが起こります。
頑張っている間は、何らかの予兆が少しあったとしても、どうにかなる程度なので、無理を続けてしまう…けれど見えないところで日々少しずつ溜まっていき、ある日コップの淵から水が溢れるように、急に心が大きく崩れてしまうというケースです。
東洋医学で言う「未病」とは、まさにコップに水が溜まっている最中のことです。
病気にはなっていないけど、病気に向かっている状態を言います。
コップの水が溢れたときに、起こる症状は、当然ながら人それぞれです。
生まれながらの体の性質や使い方の癖、衣食住と仕事を含む生活スタイルなどによって、人それぞれ、ここが悪くなりやすいというウィークポイントをいくつか持っていて、多くの場合そうした場所に不調が起こります。
体は、そもそも破壊と修復の機能を備えているので、「溜まった水を捨てる」ことは日々しているはずです。受けたダメージに対し、元に戻ろうとする働きです。
しかし、日々の影響が大きすぎる場合や、戻すための機能が落ちている場合に、その作業が追い付かなくなることがあるのです。
そうなってくると、少しずつ少しずつ、溜まっていってしまいます。
実は、コップの水が溜まっている間であれば、比較的修復しやすいのですが…こぼれた水をコップに戻すのが大変なように、一度溢れて「発症」の状態までなってしまうと、体でも心でも、多くの場合、回復にたくさんの時間や労力が必要になります。
整体で、毎月一度は体を整えることをお勧めしているのは、生活する中でそのようにどうしても少しずつ溜まってしまう水を、じゃーっと捨てて、空っぽにしておくためと言えます。
もちろん、定期的にコップの水を捨てても、空っぽにはなりきらないことや、溜まるペースが速すぎて、満水になってしまうことがないとは言えませんが、こまめにしっかりと捨てる習慣をつくれば、大きな事態には、なりづらくなります。
施術後に、「全然気がついていませんでしたが、触られたらここが疲れていたのだとわかりました」と言っていただくことがあります。
触れられたところに体の意識が集まるので、日々の生活で溜まった小さな不具合に気がつけたり、自然と修復する働きが高まったりするのです。
気がつけば、あっという間に年末が近づいてきました。
今年一年頑張る中で、お体に溜まってしまった不要な要素を、まるっと捨てて、軽くすがすがしいお体で新しい年を迎える…今月は整体を通して、そんなお手伝いをさせていただけたら嬉しいです。
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