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心と痛みの関係

更新日:2019年7月14日


去年の空梅雨と違って、今年の梅雨は本気ですね。

なんだか目に見えそうなくらいの湿気です。


さて今日は、心と痛みの関係について、思うことを書いてみたいと思います。

※痛みや不調や病気、ということなのですが、それらをひっくるめてここでは「痛み」とします。


体が感じる痛みとは、絶対的なものだと思いがちですが、実はずいぶん曖昧なものです。

つまり、レベル10の痛みが起こったとして、必ず10痛いと思うかというと、そうとも限らないということです。

3や4だと感じることもあれば、20の痛みとして苦しむこともあります。


同じ痛みでも、痛みの度合いが変わる・・・

というのも、痛みは心(意識)の影響を受けるからです。


例えば、腰痛が酷くて、台所に立つのもやっとだとします。

動くたびに、腰が痛んで「しんどい、辛い、無理~」と思います。


でも、そんな料理の最中に、包丁でシュッと誤って指先を切ってしまったら・・・

「痛い!!!!!」

その瞬間、指の痛みに全神経が集中して、腰の痛みなんて消えてしまいます。

でも、それは腰痛自体がなくなったわけではありません。

一時的に、より痛い部分が生まれ意識がそちらに向いたことで、相対的に腰の痛みが軽くなったのです。


これは極端な例ですが・・・

痛みの強さは、このように意識の変化で、簡単に変動するものなのです。


どこに行っても何の病気だかわからなかった長年の不調が、ある病院でようやく病名がついたことで、気持ちがホッとして症状が和らいだ、ということがあります。

逆に、昨日までピンピンしていた人が、健康診断で病気が見つかった途端、元気がなくなって、急に具合まで悪くなってしまうということもあります。

「病は気から」とは、なんとも言いえて妙な言葉ですが、本当に心というのは驚くくらい体に影響するのです。


10の痛みを、それ以上の痛みとして感じるときというのは、ほとんどが「負の感情」とセットで起こります。


<痛みを強く感じやすい状況>


・やることがなく暇なとき

家に一人ぼんやり座って特にすることがないとき、ベッドにずっと横になっているときなど時間を持て余しているときは、どうしても意識が内側に向きやすく、痛みにフォーカスしてしまいます。


・やりたくないことをしているとき、又はしなければならないとき

人は、主体的に動いているときと、受け身で嫌々やるような形で動いているときでは、状況の受け止め方が違います。腰が痛くても、料理が大好きなら台所に立っても悪化しませんが、「自分は食欲なんてないけど、家族のご飯を用意しとかなきゃ」と言ってしぶしぶ立っているような場合、辛い痛みを感じやすくなります。

また、嫌な仕事、テスト勉強、苦手な人に会う・・・健康な体でも気が重くなるようなことがこの先に待っているときには、痛みが強い=それらのことが免除されるかも!との期待から、無意識に痛みや不調が強く感じられることがあります。


・不安があるとき

不安があるときも、痛みを感じやすくなります。病気の不安以外の、全く関係のない不安(人間関係、仕事、お金など)であっても、不安と痛みは、互いに強め合い、負のスパイラルを招きます。


・誰かに心配してほしいとき

人は多かれ少なかれ皆、寂しがりやで孤独に弱いものです。体調が悪いときに「大丈夫?」と心配してもらえたら、嬉しいですよね。逆に、何も気遣ってもらえず冷たくあしらわれたときには、「こんなに痛くて辛いのに!」と自己の存在を主張するが如く症状が悪化する・・・嘘みたいな話ですが、実際に起こります。


人間って、なんだかややこしい生き物ですネ(^^;

でも、これらは悪気があってしているというよりも、無意識でそうなってしまうのです。


そのことを知っておくと、痛みを強く感じたときに、少し客観的になれます。

「あ、今こんなに痛むのは、洗濯物干すのが面倒だなぁという気持ちが悪さしてないかな?」と。(私の嫌いな家事です。笑)

痛みを認めながらも、一歩距離を置いて捉えることができれば、それだけで「痛い、痛い」と意識が集中して痛みを強く感じている状態から、脱することができます。


上記の「痛みを強く感じやすい状況」を逆手に取って、少し行動を工夫すれば、感じる痛みを更に和らげることができます。


・自由な時間があれば、自分が熱中できる一番好きなことをする

・体を動かすことに集中する(痛みのない部分だけでもOK)

・呼吸に意識を向ける(痛みから、吐いて・吸ってという動作へと意識を移す)